作詞を試みてみて
8月6日に、作曲をしている友達に促されて試しに作詞をしてみて、1週間と少し。
このときは、坂口恭平さんのこのツイートにも背中を押された。
死にたくなっているひとが電話をかけてきて、もうどうにもこうにもいかないというので「現実は放っといて今、頭に何が見える?」と聞くと「川」という。「じゃあその川を描写してくれ、それで詩を書いてくれ。おれが曲をつけるから」ということで1時間後詩を書いてきた。で、歌を二人でつくりました笑
— 坂口恭平 (@zhtsss) 2016年8月6日
「川」
— 坂口恭平 (@zhtsss) 2016年8月6日
作詩:まゆみ/作曲:坂口恭平https://t.co/lm5mzuabtI
40分で作ったから、クオリティーは突っ込まないでね。死ぬよりもつくるほうがまし精神でやっております。
作品は10編を越えて、なんとなくコツがつかめてきたような気がする。
最初は、夜に見た夢のイメージを言葉を整えてつくった「くびながりゅう」。
その偶然の経験から始まって、
素材となるイメージとみんなが共感できる感情や愛着のようなものを架橋していく作業をしていけばいい、というのが現時点で感じているコツの内容。
韻を踏むというような技術はその後のお化粧のようなもので、架橋に比べるとあまり本質的な事柄ではないと感じている。
ただし、技術めいたものの中でも、形式を決めて敢えて型にはめることは詞の内容の説得力を増す力になってくれると思う。
たとえば、今のところ七五調を多用している。これにより、ありふれた内容の言葉でもビル風の風力が強まるように説得力が増す。
さらに、形を予め決めておくことで向こう岸の場所が明らかとなり架橋がしやすくなる利点がある。
他方で、七五調ばかりだと、作曲のメロディが毎回似てつまらなくなってしまうのが難点といえる。
言葉の説得力を求め、自分の中で限界まで確信を高めた言葉を紡ぐことができると、傑作ができると感じる。
友達が好きだという詩人の作品を検索してみると(入沢康夫と吉岡実が好きだそう)、その方々に限った話ではないけれども、どうやって詩作をしているのか、とても確信に満ちた言葉遣いをしていると感じる。
七五調のリズムというような技術以前に選択する言葉がとても確信に裏打ちされているようにみえる。
私の場合は、今のところ、
・過去の体験に裏打ちされているとき
・物語や伝承といった巨人の肩に乗せてもらっているとき
・地名のように多くの人の生活体験をその名の中に内包しているような言葉を遣うとき
に限って言葉を断片的に高い確信のもとに遣うことができていると感じる。
こうした確信の範囲を拡大していくにはどうしたらいいのだろうか。